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愚者00
7
そこは、太陽が頂点に差し掛かる時間だというのに、まるで新月の夜のような闇の中だった。
いや、実際には光はある。空を覆(おお)い隠すほどの数多の上層歯車の隙間(すきま)からさす太陽光、電池が切れかかっているネオンの光、電灯の光。しかしそれらは辺り一帯照らすには不十分過ぎる、淡い光だった。
そんな薄暗闇の中を、大地を踏みしめるようにランディは歩いていた。
そう、ここは【宿り木(ミスリル)】最下層――通称【ダストボックス】。 【大洪水】によって殆どが沈んでしまった大地が現存する、数少ない正真正銘(しょうしんしょうめい)陸の地だ。
【アララト】という正式名称があるのだが、【宿り木(ミスリル)】が出来てからというもの、あらゆる不要資源や身寄りのない者達がたどり着く混沌(こんとん)の地になってしまっているため、いつしかこのような蔑称(べっしょう)で呼ばれてしまっていた。
閑話休題(かんわきゅうだい)。
久しぶりの不安定ではない足場に心強さを感じつつも、ランディはとある場所へ向かって迷いなく歩いていく。
――ここへ来る時は、彼は大体一人で向かう。ここは流れ者が集う地であり、彼の部下達にとっては不要な地であるからだ。
ランディは目的地へと向かって歩いていると、ふとその歩みを止める。
おおよその人間なら目の前に立たれただけで逃げ出しそうな無骨者(ぶこつもの)が、彼の行く手を阻む形で立っていた。おそらく体の至る所に刺青(いれずみ)がほってあるのだろう、首を伝って顔にまで及んでいる。
「よぅ上等なナリの兄ちゃんよ。こんな場所までウォーキングか?」
「……見ねぇ顔だな」
ここは唯一地続きで全七区画が繋がっている場所であり、こうして他の土地から流れてくるものもかなりの数を占める。この男もそういう部類だろうとランディは決定づけた。
「上流階層の人間が。さぞいいネギしょってきたんだろうなぁ!?」
そう言うと無骨者は問答無用にランディに殴り掛かる。
ランディは心底哀れだと短くため息をつくと、眼前に迫っていた男の巨大な拳を半歩横へズレることで回避する。
まさか避けられるとは思っていなかった男は行き先をなくして前のめりになりかけるが、ランディはその首-正確には男の着ている服の襟-を掴むと、男の勢いをそのまま利用し自分の倍は体重があるだろう男を軽々と投げ飛ばした。
一瞬にして視界が上層の歯車になった事に男は目を白黒させる。何が起こったのか、彼には理解出来なかった。
「先を急いでんだ。追い剥(は)ぎなら相手を選ぶこったな、おっさん」
ランディは少し乱れた服を正すと、振り返ることなくその先へと歩いていく。
細い路地裏を抜け、さらに見落としそうなほど細く暗い細道の先にある長い階段を踵を鳴らして降りていく。
そうしてランディが辿りついたのは、廃れてもう何年も経っているような、古びたビリヤードバーだった。
ランディは全く迷うことなく朽ちかけた-おそらく以前はたいそう立派だったであろう-木製の扉に手をかけると、内側へ押し込む。
――瞬間、一陣の風と共にランディの周囲は鋭利な刃物や銃火器、ワイヤーなどの暗器によって囲まれた。
少し首を傾ければ首と胴が綺麗さっぱり別れることになるであろう。ランディは一歩も動かずやり過ごすことで、結果的に全てのトラップから難を逃れていた。
「今日は休業日だ、さっさと帰んな」
バーの奥から声が飛ぶ。声音からして成人した男性のものだろうか。男は最奥のテーブルに足をあげ、新聞紙を顔に被せリラックスした体制-別の言い方をすれば大変態度のでかい姿-でそこにいた。
彼は入口での騒動がさも当たり前のように無視して来客-この場合はランディだ-に冷たく言い放つ。
「そいつは初耳だな、この店に休業日なんてもんあったのか?」
ランディはしかしいつも通り調子で返事を返す。
しかして、男は被っていた新聞紙を剥ぎ取ると、その顔を入口へと向けた。
「おぉ、ランディじゃねーか!」
「上客に対して随分な対応じゃねーの、イグニス」
男――イグニスはランディの言葉を聞くと、「いやすまねぇすまねぇ」と軽い様子で近づくと、一番危ない首の真横の壁に突き刺さっていたナイフを引き抜いた。
仕掛けられていたトラップをあらかた片付けた二人は、ようやく向かい合って入口の扉同様朽ちかけた席に腰を下ろした。
「最近紛れ込んできた奴が結構厄介でな、相手するのも面倒だから入口固めてたんだわ」
いや参ったとばかりに腕を後頭部に回してイグニスは謝罪をした。
スラリとした長身に、ダークブラウンの髪は自分で切っているためか無造作にカットされている。前髪から覗く蒼(あお)の瞳は炯々(けいけい)と輝いているが、顔の半分ほどある古傷の下の左の瞳は白く白濁(はくだく)していた。
つまるところ、【飄々(ひょうひょう)と】という言葉がとても合う男だった。
「顔まで刺青入れてたおっさんか?だったらさっきぶん投げてやったけど」
「マジかよ!いや〜流石首領(ボス)頼りになるぅ!」
「茶化(ちゃか)すんじゃねえよ」
イグニスの軽口は軽く受け流し、ランディは本題に入る。
「お前に仕事を頼みたい」
ランディの切り返しに、イグニスは口を尖らせつつ、その蒼瞳を若干細める。
「……えらくピリピリしてんな。少し世間話する余裕くらいねぇのか?」
その言葉で自分がいかに緊張していたのか気付かされる。意識すると肩が強ばっているせいか、若干(じゃっかん)上がり気味になっていた。
ランディは意識して肩の力を抜くと、いつの間にか喉をつかえさせていた空気の塊を吐き出した。
「……俺、そんな余裕ないように見えたか……」
「まぁいきなり先代が失踪(しっそう)して仕事全部ぶん投げられりゃ誰だって余裕なくなるわ!いや〜大変だねぇ一人息子は!」
「うるせぇよ」
向かいに座るイグニスにバシバシと肩を叩かれるランディは、呪いの言葉を吐くかのような低い声で言い放つ。余程今回の件はさすがの彼も堪(こた)えているようだ。
ランディは懐(ふところ)をまさぐると、煙草(たばこ)の入ったケースを取り出し、一本取り出すとおもむろにライターで火をつける。
「オタク、煙草吸うんだっけ?」
イグニスの問いに、ランディは意図して答えることはしなかった。
その沈黙を是と捉えたイグニスは、後ろの台の上に置いてあったステンレスの灰皿を手に取った。
「……そう言えば、旦那(だんな)も確か煙草吸ってたよな……」
聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量でボソリと呟いたこの言葉に、みみざといランディは火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。
「だからお前と話すのは嫌なんだ!」
「何のことだ?オレはただ思い出に浸っていただけなんだけどな」
勢いよくテーブルに拳を叩きつけるが、目の前の男はカラカラと笑うばかりだ。
この男、イグニスと会うといつも調子を狂わされてしまう。その事にランディは心底不満を抱いていた。
依然として愉快(ゆかい)そうに笑うイグニスを恨めしそうに睨んでいたランディは、短い溜息を吐いた。
「旦那からは何も無かったのか?」
つい一瞬前はへらへらと締りのない顔をしていたイグニスがそう問いかけてきた。この辺りも調子を狂わされる要因なのだが、そのことは一旦押し込め、ランディは「何も」と短く答えた。
「本当に何も無かったよ。朝起きて時間になっても姿を現さないから部屋まで行ったら蛻(もぬけ)の殻(から)だ。よくよく机の上を見たら短く紙切れに【ちょっと妻とランデブーキメてくるわ】だとよ。ふざけやがって」
「あの人らしいわー」
そう言って再び笑うイグニスだったが、対してランディは真剣な表情をしていた。
「……普段は締りのねぇクソ親父だったけど、あの人以上に人を惹きつけて頼りになる【首領(ボス)】もいなかったさ」
半ば独白に近い呟きが、二人しかいないバーに溶けていく。
「俺はまだあの人から学ばなきゃならないことが沢山あった。親父は今の俺と同じ歳で首領(ボス)になったが、俺はまだまだ未熟だ。だからこうして代々受け継がれるコートだって渡されてないんだからな」
襟元(えりもと)に不死鳥と銃を象徴としたファミリーの紋章が刻まれたロングコートは、代々ギュスターヴファミリーの首領(ボス)たらしめる大切なものだ。もちろん先代エルヴィンも私用以外で外に出る際は必ず肩にかけていた。そうして街を歩くことで【自分がこの区画を取り仕切っている】という自信と責任、そして部外者に対する抑止力(よくしりょく)として機能していた。
エルヴィンが失踪したその日、ランディは思いつく限り探したが、とうとう見つけることは出来なかった。おそらく息子である彼にもわからない場所に隠したか、今も尚エルヴィンが所持しているかだろうが、真相は分からない。
手に持ったままだったライターを弄びつつ、ランディは自嘲的(じちょうてき)な笑みを無意識のうちに浮かべていた。
「だからあの人の後を追っかけてるのか?」
イグニスの問いかけにランディは答えなかったが、それだけで彼の心情を読み取るのは容易だった。
そんなランディを横目に立ち上がると、イグニスはカウンターへ向かい、おもむろに調理器具を出し始める。
「まぁお前は何より歴代飛び抜けてアマちゃんだからなぁ。部下を危ない目に遭わせたくないから、こうして【請負屋(オレ)】なんかに汚れ仕事を回してくるんだし。今までは【先代の息子】だから部下達も従っていただけであって、こうして旦那が居なくなったから、部下達からしたら、もうファミリーに従う義理は無いよなぁ」
カウンターから【ガチャガチャ】と物音が聞こえてくる。どうやらイグニスがカウンターで何やらやっているらしいが、丁度カウンターに背を向ける形で座っているランディには何をしているのか把握することは出来ない。
しかしそれでなくとも、彼の的確な言葉を受けてランディは俯くばかりだった。イグニスが言っていることが、自分でもわかっている以上に事実だからだ。現にエルヴィンにも散々「お前は甘すぎる」と言われ続けている。
マフィアの首領(ボス)、しかも【六大ファミリー】の首領(ボス)になる者にとって、甘さ(それ)は絶対的に不要なものだった。
ランディは俯き、何十回も繰り返してきた自問を思考する。
『俺は、首領(ボス)の器なのだろうか――』
瞬間、バシンという豪快(ごうかい)な音をたてて、背中を手のひらで殴りつけられた。
その衝撃でランディは飛び上がりながら後ろを振り向くと、そこには手をひらめかせたイグニスが立っている。
「でもよ、お前はそれでいいんじゃねぇの?」
真っ直ぐに投げかけられたその言葉に、ランディはとっさに返すことが出来なかった。
その様子を見ながら手にしたカップをテーブルに置くと、イグニスは再び向かいの席に座る。
「旦那は旦那の信念を曲げずに歩いていた。だったらお前はお前の信念を曲げずに、あの人を越える首領(ボス)になればいいんじゃねぇの」
【せめて自分の手が届く範囲の人間には、不幸になって欲しくない】それが信念と言っていいのなら、ランディにとってはそれこそが信念だった。
しかし、ランディ自身この信念は何時か打ちのめされる、何時か通じない時が来るとも思っていた。そんなものは単なる自分の甘えだと。
「……それで、いいんだろうか……」
「少なくともお前のところに一人、賛同してくれてる奴がいるじゃねぇか、あの金髪のガキンチョ。そいつのために、部下達のためにお前はお前の信念を貫くべきだ。その姿が付いていくに値(あたい)するものなら、それに賛同したヤツらが付いてくるさ」
イグニスはそこで一旦言葉をきると、一呼吸して続きを言った。
「――首領(ボス)がそんな頼りない姿でどうするよ?今すぐ立派な首領(ボス)にならなくていいだろ。お前はそんな男じゃないはずだ」
――不遜(ふそん)で、自信家で、根はクソがつくほど大真面目。それが、イグニスが見てきたランディ·ギュスターヴという青年だ。
再び静寂(せいじゃく)が二人を包む。暫くそうして無音の時間が流れたが、やがて俯いていたランディは、ゆっくりとその顔を上げる。
上げた視線の先には、湯気が立ち上がるカップが置かれていた。
「……ここは酒が置かれてる場面だろ。バーじゃねぇのかよここは」
「珈琲(これ)だって立派な大人の味だろ?」
二人はお互いに向かって不敵な笑みを浮かべていた。
ランディはカップの中身を確認すると、一口啜(すす)った。
「……うまいのが腹立つ」
ランディが皮肉(ひにく)を言うと、イグニスは両手をパチパチと鳴らし、大仰な態度でこう言った。
「おめでとう!珈琲(そいつ)は旦那の舌には合わなかったらしい。つまりお前は今先代を超えたわけだ!いやめでたいねぇ」
一人勝手に盛り上がるいつもと変わらない様子のイグニスに、ランディはほとほと呆れたという顔で一言こう言い放った。
「……くっだらねぇ、アホかよ」
********
置かれたカップの中身が空になる頃、両親の失踪事件以降久しぶりに心の底から一息ついたランディは、ようやくこの場所へ来た要件を切り出すことにした。
「さっきも言ったが、ここへはお前に仕事を頼もうと思ってきたんだ」
「毎度(まいど)どうもご贔屓(ひいき)に。ってか、お前さんがここへ来る理由なんざそれしかねぇだろ」
ここへは何度も足を運んでいるが、イグニスの言う通り彼の要件はいつだって一つだった。
ランディは内ポケットから布切れを取り出すと、テーブルの上に置いた。
――そこには、薄汚れた一枚のカードが包まれていた。
「昨日捕らえたやつの懐から出てきたものだ。こいつらの情報が欲しい」
「タロットカード……?」
そのカードが何か、一目(いちもく)して判別したイグニスは、頭に浮かんだ単語をそのまま呟いた。
昨晩-厳密には今日の未明(みめい)-の任務にて、暗殺された例の首謀者らしき人物からなにか手がかりなどないかと探してみたところ、懐(ふところ)からこのタロットカードが出てきたのである。
と、事の顛末(てんまつ)を簡潔にランディは説明する。
「このカードはどんな意味があるんだ?」
タロットは占いの手段として【宿り木(ミスリル)】でも知られているが、古くから【魔術の一種】としても名高い。
自分の考えすぎならいいが――その事が、ランディには気がかりだった。
「十三番……死神か。正位置なら【死、破滅、終末】、逆位置なら【再出発、再生】ってところか」
カードの一番上に書かれたローマ数字を指でとんとんと叩きつつ、イグニスは答える。
「見るからに縁起(えんぎ)の悪そうなカードだな……」
「そうでもないぞ?今までの悪いことが終わってあらたなスタートを切れるって意味で、割といい意味で捉えられることが多いんだが……確かに今回の場合はいいにおいはしねぇな」
ランディの言葉に同意するや否や、イグニスは己の懐をまさぐったかと思えば、ランディの鼻先にそれを突き出した。
イグニスの人差し指と中指に挟まれていたのは、まさにテーブルの上に出された【死神】のタロットカードと同じ絵柄のカードだった。
「そしてここに同じカードがあったりなかったり」
「いや全く同じだろーが。そういう前置きはいいから。さて話を聞こうか」
全く今の話は何だったのかとランディはイグニスに話の先を進めるが、イグニスはカードを弾くとテーブルの上に滑らした。
「他の依頼主の情報を売るなんて信用を貶(おとし)めるような真似、オレはできないね」
言外に「これ以上話を聞きたくばそれ相応の対価を支払え」とイグニスは交渉を持ちかけてきた。その事を察したランディはわざとらしくため息を零す。
「成り立てとはいえ、【六大ファミリー】の首領(ボス)相手に交渉とは」
「そうじゃなきゃ、こんな世の中渡っていけねえよ」
「……一(いち)ファミリーの首領(ボス)として、あまり舐められても困るんだがな」
――瞬間、刹那にして本気の殺意を迸(ほとばし)らせたランディは腰の拳銃嚢(ホルスター)から愛銃を引き抜くと、迷うことなく目の前の男の眉間(みけん)にその銃口を押し当てた。
「……だったらお望み通り趣向を変えてやるよ」
引き金にかかる指に力を込めるが、それ以上の動作はランディの首筋に音もなく添えられている刃が許さなかった。
ランディが銃を引き抜くとほぼ同時に、イグニスはテーブル下に忍ばせておいた機械剣を手に取り、ランディの首横に付けていたのである。
先ほどの和やかな空気から一転、バー内は二人から放たれる殺気によって張り詰めたものになった。
「こっちが下手に出てりゃあ調子に乗りやがって。関係者と同じカード(もん)持っている以上かなり内部に接触してんだろ。素直に吐いたら一瞬で楽させてやるよ」
「せっかちはモテねぇぜ?どこで誰がみてるかもわからねぇご時世だ、――常に人目には気をつけろ」
剣を持っていない右手で輪っかを作り顔の前で覗くようなジェスチャーをするイグニスは、巫山戯(ふざけ)ていると捉えられても仕方の無いものだった。
銃口を向けても態度変えないイグニスに、ランディは一層冷ややかに目を細めると、腰に吊るしたもう一つの愛銃を引き抜いた。
――ガァン、ガァン、ガァン――!!
全部で三発の発砲音が狭い店内に響き渡る。
それは、ランディが抜いた白銀の回転式拳銃を背後に向け、イグニスの視線に合わせて後ろに並ぶ棚を撃ち抜いたものだった。
「……で?人に面倒事押し付けた理由(わけ)はもちろん聞かせてもらえるんだろうな?」
未だ白煙を燻らせる銃を下ろすと、ランディは目もくれずに撃った背後をそのままにイグニスに問いかけた。
当のイグニスは「降参」だと言わんばかりに、ランディに向けていた剣を引きバンザイポーズを取っていた。
「はっは〜いやすまんすまん。存在には割と前から気付いていたんだが、オレが自分で取ることも出来なかったんでな。ナイスタイミング」
「?」
イグニスの含(ふく)みのある発言に、ランディは訝(いぶか)しげに両手に持った銃を拳銃嚢(ホルスター)に戻しつつ首を傾(かし)げる。
「盗聴器だよ」
――果たして、イグニスの口から出た単語は今の【宿り木(ミスリル)】では有り得ない物だった。
「……なんだと?」
その名称を聞いた瞬間、ランディの顔は疑惑と動揺で染まっていた。
こんな薄汚れた最下層の【請負屋】に仕事を依頼する以上、相手が別の誰かに情報を簡単に流すのではないかと疑って盗聴器を仕掛けるのも頷ける話だ。しかし一八世紀前後の時代背景を生きる今の【宿り木(ミスリル)】にとって、盗聴器というものは【あってはならない未来の産物】他ならなかった。
ランディの反応は、そういった時代背景から来るもので、イグニスも彼の動揺は理解出来た。
ランディは口に指を当て考えるポーズをしながら、先ほど撃った棚に歩み寄った。
棚に並べれた、かつてはバーに訪れた多くの客を愉しませていただろう空の酒瓶のガラス片に埋もれながら、盗聴器(それ)は異質な雰囲気を纏っていた。
ランディはバチバチと電気を鳴らす壊れた盗聴器を、帯電しないように注意しながらつまみ上げた。
近くで見るとその盗聴器はかなりの性能を持っていること明白であり、より一層今の時代には不釣合な代物だった。
『こんな性能の盗聴器、作れる人間は限られてくる……』
「――気をつけろ。盗聴器(こんなモン)を出してくる連中だ、かなりやばいバックが付いてるはずだぜ」
そう言うイグニスが居る背後を振り向くと、そこでは丁度封筒をテーブルのうえに出しているところだった。
ランディは壊れた盗聴器を懐に仕舞いつつ、イグニスから渡された封筒の中身を確認する。
「奴らの情報売ったりして良いのかよ、請負屋」
「今の暮らしがオレは気に入ってるんでね〜。それとまだオレが死ぬ未来は見えないから問題ないだろ」
傷下にある左目を指差しながら、イグニスは自信げにそう言った。
ランディはまとめられた情報に目を通しつつ、イグニスと同じようににやりと笑う。
「その目でこの事件の犯人とか結末とか見れたら、苦労はしないんだがな」
「そんな便利な代物(しろもの)じゃねぇよこいつは。そもそもオレの目は欠陥品も欠陥品で、見れるものと言ったらせいぜい数時間から数日先の確定率の高い事象だけだ」
「そうかい、そいつは頼りになるな。……ところでこの資料はお前がまとめたもんか?」
いつもなら手書きでぞんざいにまとめられたものを渡されるランディだが、今手元にあるものは機械的に綺麗にまとめられたものだった。
イグニスは彼の生い立ち上【六大ファミリー】界隈(かいわい)において何かと頻繁に出入りしているお陰で、色々とその恩恵にあやかっている。そのため彼らの持つ技術を貸し与えられているのだが、いつもの彼らしくない仕事の丁寧さに、ランディはどことなく違和感を抱いていた。
「お前、失礼なやつだな。オレだってたまにはきっちり仕事をするし、今回はまとめる資料の量が多かったからそっちの方が早かっただけだっつの。それより、お前さんの依頼は情報だけだっつったけど、どうせ今回の件の始末もだろ?今度奴らの重要人物が集まる夜会が開かれるらしいから、潜り込んで情報集めてきてやるよ。本命が来るかは分からねぇけどな」
わざとらしい話の方向転換にイマイチ釈然としないランディだったが、自分もそこまで暇人ではないことを思い出し、手元の資料をまとめると、席を立つ。
「頼む。俺の方でも調べてみるから、新しい情報や追加の依頼があったら追って連絡する。それと、その夜会には俺が潜り込ませてもらうぜ」
すれ違いざまにイグニスの指先に挟まれたタロットカードを抜くと、ランディはそのまま出口へ真っ直ぐに歩いていった。
「おいおい、首領直々に敵地に乗り込むってか?……部下を危険に晒したくない気持ちも分かるが、過保護は程々にしておけよ。――ファミリーの奴らのことも、少しは信頼してやれ」
背中に投げかけられた忠告には返事をせずに、ランディは軽く手を振ると振り返ることなく寂(さび)れたバーを後にした。
「……全く、難儀(なんぎ)な性分だな、あいつ」
イグニスは深くため息をつくと、「ま、オレもか」と扉で遮られた男の背中をしばらく見送った。
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道すがら、ランディはBARでイグニスに渡された資料をもう一度読み込んでいた。
彼らの背後にはイグニスの言うとおり、かなり大きな組織が付いているようだったが、今回の暗殺された男の組織のように多くの中小組織が関わっており、その陰にすっぽりと隠れてしまっていた。
そのため本命の情報は皆無に等しかったが、ただ一つ、それら多くの集いを総称した名前とそのシンボルだけは明確に記されていた。
ランディはその一文字を誰にも聞こえないように、しかしはっきりとその名を口にした。
「【Sefirot(セフィロト)】――」
大きな大樹が、複数の歯車を飲み込んでいる。【死神】のタロットカードといい、どこか禍々(まがまが)しさすら感じられるそのシンボルを、ランディは刻みつけるかのように凝視した。
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