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 「お前のタグ?いや、俺は知らねーぞ?」
 目の前の見事なまでの赤髪を持った男は、本当に知らないとばかりにそう言った。
 
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 事の発端は、その日目覚めてすぐのことだった。
 夜明けとともに起床した私は、まだ完全に覚醒(かくせい)しない意識のまま台所に立つと、棚にある袋に詰まった深煎(ふかい)りの香り高いコーヒー豆を専用の機械でゴリゴリと削り、その間に沸かしておいたお湯を注ぎ入れる。
 世間は出始めたばかりのインスタント珈琲なるものに御執心であるが、私は一々豆から引く珈琲(コーヒー)の方が好きだ。
 数分置いて、カップに入れた熱々の珈琲を片手にデスクに戻り、デスクのうえに用意しておいた予定表を確認する。
 時計が鳴り、集中していた意識を時間に向ける。そろそろ首領を叩き起しに行く時間だ。
 元々私が起こしに行く義理はないのだが、低血圧で朝に弱い首領(ランディ)は、放っておくと次の日まで眠り続けてしまう。現に一度、ふざけ半分で彼の現右腕を務めているルカと放っておいたら本当に起きてこなかった。
 私はデスクの鍵付きの引き出しから、いつものように身分証である自分の【タグ】を取り出そうと引き開ける。
 
 ―――そこには、【タグ】は無かった。
 
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 時間は戻り、今は午前九時の首領の執務室。そこには私を含め三人の男が居た。
 そのうちの1人―目の前の執務席に座るギュスターヴファミリー現当主、ランディ·ギュスターヴが口を開く。
 「はは〜ん、さてはお前、失くしたか?いけないな〜あれはこの世に二つと無いお前の身分証だぞ?」
 「ここは茶化す場面じゃないでしょ、ランディ」
 あからさまに【これは詰(なじ)るチャンス】とばかりに半笑いで月仁に言うランディだったが、隣に立つ右腕である金髪の少年に諌められる。
 「なんだよルカ、ツキヒトがミスするなんて滅多にないことだぞ、これはいじるチャンス!」
 「ランディはいつもミスするけど」
 「俺は公私はちゃんと分けるタイプですぅ〜、仕事ではミスしません〜」
 「あれあれ、おかしいなぁ?先日重要案件が書かれた報告書をまとめてグズ入れに放り込んだのはどこの誰だったっけ?」
 ルカに痛いところをつかれ押し黙るランディ。
 一部始終を見ていた私は【これが主と従者の関係か…】と半ば呆れながら考えてしまった。
 その私を察してか、ランディは「ごほん、」とあからさまに声を出して咳払いをすると、話を元に戻してくれた。
 「で、タグだったか。心当たりとかはないのか?」
 私は昨日自室に帰ってからのことを思い出すが、寝所に入るギリギリまでは左耳で揺れていたタグは、日課同然に鍵付きの引き出しに入れるようにしている。もちろんが鍵をかけ忘れていた訳では無い。私が寝て起きるまでに自室に侵入することは可能ではあるが、スペアの鍵は一切ない以上、あの引き出しは私以外誰にも開けることは不可能だ。
 その事を素直にランディに話すと、ランディは1人何やら考え込んでいたが、それもスグに終わったようで、「そうか」と短く答えた。
 「まぁ何にせよ、タグがないのは不便だな。俺のでよければ見つかるまでしてるか?」
 ランディの最もな提案に、私は即答することが出来なかった。
 ギュスターヴファミリーの身分証である機械仕掛けのタグは、厳密(げんみつ)には異なるものが二つ存在する。目の前の現当主、ランディが作ったタグと前当主、エルヴィンが作ったものだ。
 構造自体に大きな変化がある訳では無い。ただ、作り手が違うだけ。しかしそれはファミリー内部では大きな意味が生じる。
 エルヴィンに仕える者、ランディに支える者の差だ。
 
 現実問題、エルヴィンが失踪(しっそう)していく日も経っていない今は、ファミリー内の殆どがエルヴィンによって作られたタグをした構成員だ。彼らは未だ、心の底ではエルヴィンに仕えているのである。
 彼の作った【タグ】に執着(しゅうちゃく)する私自身も、その心を完全には切り捨てられていないのだが。
 私のその心情を知っているランディは、暫く私の様子を見ているようだったが、「そうだな、」と苦笑しながら提案を取り下げる。
 「お前にとっては大事なものだからな。不便だろうが、見つかるまではそのままでいればいい」
 いかな首領(ボス)と言えど、年下相手に気を使わせてしまった。私は己の不甲斐(ふがい)なさに彼の顔を見ることが出来なかった。
 「という訳だ。次は俺からの話を聞いてくれ」
 この話はここで終わりだとばかりに、次の話題を切り出したランディは、言外に「気にしないから顔を上げろ」と言っている気がした。
 私はその言葉でようやく顔を上げると、ランディではなくルカが紙面を読み上げる。
 「先日、第四階層の廃教会にて、深夜の時間帯に複数人の人間が出入りしているとの目撃情報がありました。潜入させた調査員によると、そこでは闇市が行われていたとか」
 「前あった【会合】の議題に上がった特徴とも一致している。顔写真にある奴らも複数人確認が取れた」
 【会合】というのは、【宿り木(ミスリル)】を牛耳(ぎゅうじ)る【六大ファミリー】のトップが集まる年に数回しかない会議のことだ。ランディが言っていることは、確か最近全区画を通して横行している違法闇市の話題を指しているのだろう。
 高額な絵画や芸術品の盗品はもちろんのこと、番犬替わりの猛獣や、奴隷にと拉致してきた子供たち……
 【闇市】という言葉で幼少期の記憶がフラッシュバックしかけるが、今はその時ではない。私は軽く頭をふると、話の先を清聴する。
 「裏が取れた以上、これ以上奴らの好き勝手にさせる義理はない。オマケに俺の庭を踏み荒らす輩だ、今晩仕掛ける。お前には後方で狙撃による威嚇(いかく)と警戒を頼みたい」
 ランディは極めて冷酷に命令する。私は隠された真意に気づきつつ、いつものように二つ返事で了承する。
 主の命とあらば、私はそれを完遂する義務と責任がある。
 「後方支援及び警戒の任、了解しました」
 私がそう言うと、ランディは肩の力を抜いた。
 「いつも悪いな、こんなことばかりで」
 先ほどの首領モードとは打って変わり、心底【申し訳ない】とばかりに弱々しく呟くランディ。彼の性分は私もよく理解している。
 「これが私の仕事だ、ランディ。それに……」
 私は一旦そこで無意識に言葉を切ると、目の前の相手にぎりぎり聞こえるかという小さな声で、独り言のように呟いた。
 「その方が、私としても助かる」
 私の独り言に、しかしランディには届いたらしく若干(じゃっかん)表情を曇(くも)らせた。
 何か言おうとしたランディだったが、先に私が発言することで遮った。
 「では、今日の任務があるので、失礼しても大丈夫だろうか」
 「……あぁ、他の奴にはフォローに回るよう言っておいたから、夜の仕事に差し支えそうなら仕事を肩代わりしてもらえ」
 「了解した」
 私はそう言うと、なにかに追い立てられるようにして、足早に執務室をあとにした。
 
 
 「……今夜は一段と、遅くなってしまいそうだな……」

© 2017- izumi soya

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