top of page
愚者00
12
リベルタに入ると、外壁前の喧騒とはうって変わり、街は深海(しんかい)のような静けさに包まれていた。
先程まで隙間なく轟いていた銃声も、今ではすっかり聞こえなくなっていた。住宅街に入ったことで音が乱反射して拡散してしまっているためだろうか。
もしや決着がついてしまったのか――音を頼りに駆け出していた私は、しかし未だ諦めきれずに文字通り闇雲(やみくも)に街を走っていた。
五階層から傘も刺さずに走りっぱなしの身体(からだ)は既に限界を超え、雨で濡れた分重みを増した服のせいで更に動きは鈍くなってしまっている。――こんな石畳の隙間にすら足を取られるほどにだ。
僅(わず)かに隆起した段差に躓き不意な衝撃に思わず転びこみそうになるが、なんとか膝に力を入れて踏ん張ることに成功する。無様に水たまりにダイヴ、なんて恥ずかしい展開にはならずに済んだ。
しかし不本意とはいえ足を止めてしまった私は再び走り出す気力もなく、そのまま膝に手を乗せて全体重を預ける。呼吸をするのも億劫(おっくう)で、喉が息をするたび燃えるような痛みを伴(ともな)った。
肩で息をしながら無意識に顔を上げると、目の前には大きなガラスウィンドウがあった。
本来なら中に飾ってある骨董品(こっとうひん)を見せるためのものだろうが、私は焦点を手前――すなわち自分へと合わせていた。
そこに映っていたのは、ずぶ濡れの大きな荷物を背負った男だ。そう、不釣り合いに大きな楽器ケースを背負った自分。
その時ようやく私は、どうしてこんなにも背中の住人が重くのしかかってきていたのか気づかされた。
まるで、『お前はみっともなく何を駆けずり回っているのか』とあきれているようだ。
そうだ。私がランディの援助へ向かったところで所詮銃は並の腕。あれほどの銃撃戦ともなれば足でまといの何者でもない。――それが拳銃であれば、の話だが。
私の本職は狙撃手(スナイパー)。遠距離からただひたすらに獲物を待ち続けるコマンド。
背中の相棒はずっと私にそのことを訴え続けていたのだ。
その事にようやく気付かされた私は視点を上へと上げ、辺りをぐるりと見渡した。確かリベルタには【あれ】があったはず――。
【それ】はすぐに見つかった。探すまでもない、ここリベルタで一番高い建造物なのだから。
行くべき場所が見つかった。私は今までの出鱈目(でたらめ)に走っていた時とは一転し、しっかりと目的地を定(さだ)め、一直線に再び走り出した。
--------
リベルタは大して大きな街ではない。走ること数分、私は狙撃に最適なポイントへと到着した。
時刻を逐一告げる大鐘楼(だいしょうろう)がある時計塔。ここリベルタではいちばん大きな建造物であり、町の中心部にそびえるそれはどの方向であってもほかの建造物に邪魔されることなく狙いを定めることが出来る、まさに絶好の狙撃ポイントだ。
中は礼拝堂になっており、内部にある階段で鐘楼(しょうろう)のある露台(テラス)へ出ることが出来る造りになっている。
無人になってすっかりもぬけの殻になった礼拝堂をすり抜け、私は階段を駆け上がる。
壇上にある激しい雨風でガタガタと軋む木製の扉をこじ開けて、私は露台へと飛び出した。
横殴りの暴雨が降りしきる中背中に背負っていた楽器ケースを下ろすと、しまっていた白銀の狙撃銃を取り出した。
数日前に引き金(トリガー)をロックされて以来ひとまず一日一回は見るようにしていたが、未だに相棒からの返答はない。今もそれとなく引き金(トリガー)に手をかけてみるが、やはりロックされたままだ。
『応(こた)えてくれるかどうかは私次第』――今もこうして迷ってばかりの私は、ここまできても相棒の信頼を得ることが出来ないでいた。
途方(とほう)に暮れていると、【ポンっ】という軽快な音を立てて薄青色の3Dウィンドウが目の前に表示された。
そこには簡潔な言葉で、短くこう綴(つづ)られていた。
【汝(ナンジ)、何ヲモッテ我ヲ使用スルカ】
……以前ランディに【擬似神威(エクス・マキナ)】及び兄弟機である【擬似天手(ジェメロ・マキナ)】には意思のようなものが存在すると聞いていた。長い付き合いで初めての接触だったが、驚きよりも相棒【スレイプニル】はどうやら相当な堅物(かたぶつ)らしいという印象の方がが大きかった。
随分と場違いなことを考えていると、文面の上に被(かぶ)せるようにもう一つのウィンドウが現れる。
どうやらそれは映像のようだった。画面の端々で瞬(またた)く閃光と、その間を縫(ぬ)うようにして疾駆(しっく)する男二人。
私と同じ真っ黒な髪の青年と、燃えるような赤髪の青年の姿だった。
********
――なるほど、どうやら相手の認識を改めなくてはならないようだ。
ばしゃあ、と雨音を立てながらランディは建物の陰に滑り込んだ。
ジンと名乗る東洋人の間者と撃ち合いはじめてから既に半刻弱経つが、以前決着がつかずにいた。
相手が持つ弾数は弾倉一つに一七発。対してこちらは六発。
いつも使用している漆黒の愛銃では無くこちらを使っているのは、相手の使う拳銃からして相性が悪いと判断したためだ。
弾数·連射性では圧倒的に不利。しかしその弱点をランディは天性の射撃センスで補填(ほてん)しているのである。
……しかしここまで苦戦するとは。とランディは己の短慮(たんりょ)さを反省する。数日前にジンは足を撃たれている上に、さらにそれまで接触していたツキヒトに怪しまれないよう、その上から余計な傷さえつくっている。弾数の有利などそれで帳消(ちょうけ)し以上だと思っていたが、しかし先程からジンは毛ほどもそれをかばう素振りを見せてない。
間者(スパイ)として育てられた彼は随分と【痛み】には慣らされているようだった。――もちろん、悪い意味でだ。
頭の隅で考えつつ、全弾撃ち終えて空になった薬莢(やっきょう)を弾倉(シリンダー)から石畳へ散りばめると、慣れた手つきで新しい弾を再装填(リロード)し、元に戻す。
それはまるで巻き戻しの映像を見ているかのような流麗(りゅうれい)な動きだ。
隠れた建物を背に通りを確認すると、そこは無人だった。どうやらジンも身を隠したらしい。
「そう言えばあんた、俺に用があったんだっけ?」
隙無(すきな)く銃を構えながら相手の出方を伺うランディだったが、まるで世間話をするかのようにジンの方から問いが投げかけられる。
「なんだよ、【マフィア(おれ)】の事は嫌いなんじゃなかったのかよ。てっきり話すのも嫌なのかと思って空気を読んでやったんだぜ?」
「何、ここで死ぬ野郎の最後の言葉くらい聞いてやろうかと思ってな」
ジンにとって自分の死は確定事項らしい。ランディはジンの返しを鼻で笑うと、折角だからと切り出した。
――これが、最初で最後の対話の時間だと心の隅で思いながら。
「最下層のおんぼろビリヤードバーに盗聴器を仕掛けたのは、お前か?」
最下層【ダストボックス】に居を構えるイグニスの根城に仕掛けられていた盗聴器。ランディはあれ以来破壊した盗聴器を持ち帰り調べてみたが、あれはやはり現在の【宿り木(ミスリル)】では再現不可能なまでの性能を有していた。
答えがあるとは思ってなかったが、予想外にジンの返事は素早かった。
「そうさ。月仁がお前の側から外されて情報が取れなくなったから仕方なく、ね。それとあの【請負屋】はいずれ我々の仲間にスカウトしようと思っていたから、それも兼ねてさ」
「イグニスを……?」
だからイグニスは暗殺された男と同じ【十三】番のタロットカードを持っていたのだ。
一つ合点がいったところで新たな疑問が浮上する。それを考えようとして、ランディは思考をやめる。ここで奴が自分が考えていることを話せば、【疑惑】は【確信】へと至る。
まるで問題の答えがわからない生徒に教えを垂(た)れる講師のように、ジンはその続きを口にする。
「あの男の【未来視】の能力は貴重だからな。いやはやしかし超科学というのは凄いものだな。まるで御伽(おとぎ)噺(ばなし)に出てくる魔法と一緒じゃないか」
その言葉を聞いて、ついにランディは確信する。
ジンの背後――【Sefirot(セフィロト)】は【ロストテクノロジー】である科学を理解し、それを再現できる能力を有している。
【大洪水】以降、その直前まで超発展し続けていた科学技術を所有していたのは六人の科学者だけであり、その末裔である【六大ファミリー】だけだ。
何故その六人はその科学技術を公表しなかったのか――それは、この閉鎖された世界では、その力は今度こそ人類を滅亡させてしまうのではないかと危惧(きぐ)したためである。
このように狭い空間で、いくら数を大幅に減らしたとしても多くの人種が入り乱れ生活するということは、当然大なり小なり諍(いさか)いは勃発(ぼっぱつ)する。やがてそれは戦争へと発展し、爆弾や化学兵器も投入され、最終的に被害は修復できないほどの【傷】になる。――そうなれば、人類に未来はない。
【宿り木(ミスリル)】を建造する際、六人はその結論に達し、必要最低限の技術だけを使って今の重層大陸を作り上げた。そして余計な諍いを生まないよう抑止する力【擬似神威(エクス・マキナ)】を最後に、それ以上の情報は完全に封印した。
現在の【宿り木(ミスリル)】が旧暦の十八世紀までの技術の再現に成功しているのは、ひとえに【六大ファミリー】以外の天才が閃(ひらめ)き、発明し、開拓(かいたく)しているからなのだ。
確かに、自分たちが所持する科学技術を公表すれば暮らしはもっと楽なものになるだろう。しかしランディは思う――それはこの【宿り木(ミスリル)】には必要ないものだ、と。
ジンの言葉で完全に【Sefirot(セフィロト)】を【危険分子】と判断したランディは、長らく閉ざしていた口を開く。
「お前は――【Sefirot(セフィロト)】はその技術を使って何をしたいんだ」
数日調べ尽くしてついぞ知ることが出来なかった彼らの目的。しかしランディはそれが一番知りたいことだった。
沈黙に次(つ)ぐ沈黙。ランディの問いかけに、次はジンが口を閉ざす番だった。
しばらく雨が石畳を打つ音だけが耳朶(じだ)をたたいていたが、静かに、しかしはっきりとジンは言った。
「……なぁ、お前はこの世界の構造をどう思う?」
質問に答えることなく、ジンは質問を投げかけた。ランディはそれが正しくは自分に対する問いかけではないと察し、静かにその続きに耳を傾ける。
「なんの罪もない幼子が、日々どれだけ路地裏で死んでいっているのか。日々どれだけの人間が強者に虐(しいた)げられているのか。どうしてこんなにも理不尽なんだ」
依然ジンの姿は水煙(みずけむり)のせいで見てとることが出来ないが、彼が放つ殺気だけは肌で感じることが出来た。
「――この【宿り木(ミスリル)】の構造こそが、この理不尽なピラミッド社会を作る要因になってるんじゃないか……!」
ここまで来れば大抵の人間はその言葉の続きを予測できるというものだ。悪い予感しかしないその先を静止するより前に、ジンは予想通りの言葉を放つ。
「そんな世界なら、【マフィア(あんたら)】諸共(もろとも)いっそ海に沈めてしまった方がいい」
「ざけんな!ンなことしたら一体どのくらいの人間が死ぬと思ってやがる!」
ジンの無責任極まりない言葉に、我慢ならず声を荒らげて反論する。
『気に入らないから破壊する』――まるで癇癪(かんしゃく)を起こした子供のような暴挙(ぼうきょ)だ。
しかしランディの激昂に被せるように、ジンも劣らない大声で怒鳴りつける。
「――だったらあんたがそれ以外の方法でどうにか出来るのか!?」
ジンの叫びにランディは思わず閉口した。放たれた怒声には、どこか縋(すが)るような色が彼の言葉には混じっていたからだ。
「……俺が初めて月仁に会った時、あいつどんなひどい顔していたと思う?何もかも諦めた顔をしていたよ。まだ十そこいらの子供がさ。この世界にはもっと素晴らしいことが沢山あるんだって知ってもらいたくてあの時送り出したのに、再会したあいつは良くなるどころか、見てるこっちが悲しくなるような顔になっていた」
ぽつりぽつりと、ジンは誰にいうでもなく独白する。それは相対して初めて見た、【片桐(かたぎり)壬(じん)】という人物の本性だった。
「月仁だけじゃない、大通りを少し外れただけでそういう顔をした大人や子供なんて沢山いる。折角(せっかく)生まれてきたのに、そんなの不幸にも程があるだろう。――もう、あいつのような人を見るのは嫌なんだよ」
もう疲れたと言いたげに、ジンは乾いた笑いを零していた。
彼が見てきたものは、ランディ自身もずっとどうにかしたいと思っているものと同じだった。
どこかで違(たが)えてしまったのだ。方や『現状を維持した上で、それでも全てを救いたい』ともがく理想主義者。方や『全てを救いたいとした上で、ならば全てを破壊するしかない』と諦めた現実主義者。二人は全く同じ思想を持ちながら、絶対的に交わることのない平行線を歩んでいく。
「……それでも俺は、お前達のやり方は気に入らねぇ」
それでも、他になにか道があるはずだと諦めないランディに、ジンは卑下(ひげ)た、しかしどこか羨望(せんぼう)の瞳で呟いた。
「あんたの甘い考えがどこまで通じるのか楽しみだ、偽善者」
ガシャ、と弾倉(マガジン)が装填される音がする。それはこの長いようで短かった対話の時間の終わりを告げていた。
「――――――」
締め括(くく)るように最後にジンが何事か言った。その時一瞬だけ、まるでこの言葉だけを隠すかのようによりいっそう激しい暴雨がふたりの間を駆け抜けた。
耳を澄まさなければ声すら聞き取ることが困難なほどの嵐の中で、ランディだけがその言葉を聞き届けた。
「……まぁ細かいことは幹部連中が考えてるだろうさ。下っ端の俺はただ任務をこなすのみ」
話は終わりだと言いたげに、ジンは強引に話を終わらせる。その時には既に一瞬の嵐は過ぎ去っていた。
唯一の和解の道も閉ざされた瞬間だった。決着はどちらかが果てるのみ。
先に仕掛けたのはランディだった。ずっと背中を預けていた建物の陰から飛び出すと、一直線に斜め向かいの路地裏へと走り出す。
彼もただジンとの対話に興じていた訳では無い。もちろん話し合いでことが済まされれば良いに越したことは無かったのだが、会話の中で相手が潜んでいそうな場所に目星を付けていたのである。
暫定潜伏(ざんていせんぷく)地点(ちてん)にたどり着くと、ランディは確認するより速く二回、立て続けに引き金を引いた。
何も無い虚空(こくう)を弾丸は通過する。そこにジンの姿は無い。
目の前の現実を受け入れるより早く、ランディの脳は警鐘(けいしょう)を鳴らした。反射的に頭を振って回避するも、背後から撃ち出された弾丸は左側頭部を僅(わず)かに削る。
既(すんで)のところで致命傷は避けたものの、直後に懐(ふところ)に潜り込んだジンの右掌打が鳩尾(みぞおち)に直撃。ランディはそれすらもなんとか後ろに跳躍することで回避しようとしたが、ダメージを全て流すことは出来ずに跳び退いた先で体制を崩した。
「ろくに聴力も戻ってない状態で誘いに乗ってくるとはな、それだけ自信があったと見える。、――その傲(おご)りが、あんたを殺す」
数日前に食らった音響炸裂弾はかなり威力を底上げされたものだった。その効力は今も糸を引いており、いくらかマシになったもののランディの聴覚を依然阻害(そがい)している。
人間は五感の中で約八七%の情報を視覚に頼るところが大きい。その次が聴覚だが、この乱立する建物群の中においては視覚情報よりも聴覚情報が優先される。
その聴力が半減された中で、さらに被弾箇所から顔の輪郭を伝ってどろりとした血液が左目に流れ視界を奪う。これで視覚も万全とは言えなくなった。
有利だと思っていた最初から一変、立場が徐々に反転していく。
まるでクモの巣にかかった獲物のようだ。見えない糸によって身動きが取れなくなるような不快な感覚の中、【退(ひ)く】という選択だけはランディの中には無かった。
********
【スレイプニル】から提示された映像は、そこで途絶えていた。
その後のことは遠く距離の離れている私には知ることは出来ないが、推測するのは容易(たやす)い。
彼らはどちらか一人になるまで、文字通り戦闘を止めないだろう。二人の道が交わることはなく、これはそういう戦いだ。
再度私は目の前のウィンドウを確認する。変わることのない【スレイプニル】からの言葉がそこには浮かんだままだ。
私はウィンドウの言葉には答えず、棒のように立ったままだった足を前へ踏み出した。
『自分自身がどうしたいのか』――なんて、今思えば随分前から答えは自分の中にあったのだと思う。
ただ最初の一歩を踏み出すことが怖かっただけだ。今までいた箱庭世界から飛び出すことが怖かっただけ。
壬とランディが交戦している場所を狙える位置まで歩みを進めると、私は抱えていた【スレイプニル】の銃身を混凝土(コンクリート)の上へ置き、私自身も狙撃態勢に入る。
一挙一動、長年かけて身に着けてきた動作を再度確かめるようにして慎重にポジショニングをする。それはまるで祈りのような動作。
最後にスコープを覗き込むと、私は【選択】する。
「私は彼が守りたかったものを、彼が守りたいものを守る為にお前を使う。――彼らと出会わせてくれたこの場所を守る為に」
悩みに悩み、一生分も悩んだのでないかと錯覚するほど、随分と長い間悩んだものだ。だからもう迷わない。
「誰の命令でもない。私は――俺は俺の意志に基(もと)づいて、この場所で生きていくよ」
誰かの言葉を待つのはもうやめよう。自分の意志で生きることが、ずっと私を支えてくれた人々への私の精一杯の恩返しだ。
いつか彼らと再開した時、胸を張って「ここで生きてやったぞ」と言えるように。
――果たして、スコープの中で裁定は下された。
【了承/此レヨリ我ガ力ハ汝ノ意思ヲ尊重シ、ソノ補助ニ尽力スル】
【スレイプニル】の銃身が淡い青色に発光し、周囲に幾つもの半透明の3Dウィンドウが展開する。スコープに映る景色も一変し、入ってくる情報はすべて数値化される。
様々な数字が入り乱れる中、唯一の熱源体――そのうち相手を追い詰めつつある影にレティクルを合わせる。
二人は今も交戦中で、居住区を縫うように走りながら移動している。そのため落ち着いて標準を合わせることはできないうえに、射線も満足に確保することは難しい。一度は捉えるが、すぐにスコープの外へと外れてしまう。
【告/オヨソ八秒後、一〇mサキ路地ヲ通過】
「了解した」
数日の空白をものともせず、私の意図をすぐさま察知(さっち)した相棒が、必要最低限の言葉だけで最適な狙撃タイミングを告げてくる。
スコープの中にカウントダウンが表示される中、私は指示された座標に銃口を向ける。
結局、壬と再び正面切って話すことはできなかった。私は刹那(せつな)ともいえる時間の中、聞こえるはずもない一言を彼に向けてしっかりと言い切った。
「――ありがとう。あなたは間違いなく俺の英雄(ヒーロー)で、俺の大切な友人だ」
カウントが【零】になる――
姿が見えるか見えないかの狭間(はざま)、私は確認することなくただ引き金を引いた。
周囲の空気を震撼(しんかん)させる轟音(ごうおん)が炸裂(さくれつ)する。暗雲(あんうん)を切り裂くかのように撃ち出された銃弾は対象との距離を一息でつめ、幅二mの路地を通過。そして――
――そして、直後に横向きにランディを狙いながら横切ろうとしていた、壬の頭部を正確に撃ち抜いた。
私は右手で薬室から空になったばかりの薬莢を排出。そのまま新たな弾薬を送り込む。いつもの通り次の動作に備えるためだ。
しかしその必要はないことを、私自身が誰よりも知っていた。大量の脳漿(のうしょう)と血液が乱舞する中、かつて私を救ってくれた友が雨ですっかり濡れた地面へと倒れこむ様を、私は目をそらすことなく確認する。
スコープから目を離し、引き金に添えた人差し指はそのまま横目に彼の心音を確認する。表示された彼の心電図モニターは、完全に沈黙していた。
かつて【片桐(かたぎり)壬(じん)】と名乗っていた亡骸は、二度と立ち上がることはなかった。
目標の沈黙を確認し、私はようやく肩の力を抜き上体を持ち上げる。気が付けば未明から【宿り木(ミスリル)】に降り続いていた雨は止み、薄れつつある雲の隙間から太陽の光が差し込んでいた。
久方ぶりの太陽光の下、私は今まさに自分の友を手にかけたその右手を見下ろし、そして晴れた空を見上げる。
こちらの心情なんぞ知ったことではない、と言いたげな、素晴らしく澄んだ青空がそこには広がっていた。
直線距離にして約四km――間違いなく人類初となる超長距離の狙撃記録を、私はその日、更新した。
bottom of page