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11

 妙な胸騒ぎがした。
 気がつけば私は、五階層にあるファミリーの本邸へと足を向けてしまっていた。
 恐らく今朝(けさ)幼い頃の思い出を久しぶりに夢で見たからだろう。謹慎は未だ継続中であったが、外から眺めるくらいなら許されるだろう。
 そう口実を考えつつ、肩にお馴染みの楽器ケースを担(かつ)ぎ、すっかり歩きなれた道を進む。
 屋敷の正門前までくると、数人の顔なじみが忙しなく出入りしているのが見えた。
 ……何かあったのだろうか。
 「お、ツキヒトか!久しぶりだな」
 開け放たれた豪奢な門越しに様子を伺っていると、目ざとく私に気づいた一人が声をかけてくる。
 「あぁ、久しぶりだ。随分と忙しない様子だが、何かあったのか?」
 近づいてきた同僚に軽めの挨拶を返しつつ、私はことの事情を探ることにした。「あーそれがよ、」と前置きをしてから同僚は話し始める。
 「『最近働きすぎだし、今日はみんな一日オフです!』ってルカに言われてみんな解散したんだけどよ、ついさっき三階層の住民から『三層の外れで銃撃戦がおっぱじまった』って話をきいて、慌てて戻ってきたんだ」
 「銃撃戦……?でもそれだけでこれだけ大事になるのは……」
 腑(ふ)に落ちない、と私は続ける。【宿り木(ミスリル)】の住人であれば、銃声など日常茶飯事であるだろうに、と。
 私のその怪訝(けげん)そうな顔を見て、同僚はどこかきまりが悪そうに視線をしたに向ける。
 「かなり激しい銃撃戦らしい。被害者は今のところ居ないらしいが、家屋や物損の被害が相当数出てる。それと……騒ぎを起こしてるひとりが、ランディだったといっている」
 同僚の言葉に、私は思わず声を失った。ランディが銃撃戦?
 「ルカは知っているのか」
 彼の重臣である少年が知らないはずはない、と淡い期待から質問を投げかけるが、これに対しても目の前の同僚の顔は晴れない。
 「何度も連絡をとっているけど、通じない。ルカの所在も今のところわからないままなんだ」
 ということは、今この場で状況を正しく判断し指示を出せる人材がいないということになる。道理でみんな辺りを行ったり来たりしている訳だ。
 「ひとまずオレたちは近くの住人に避難を呼びかけようかと思ってるんだが……」
 同僚の顔色は優れないままだ。今のファミリーの現状を考えるに、上の命令なしに勝手に行動することは良いのだろうか、と考えているからだろう。
 だが、彼の判断は正しいものだと私も思った。
 「いや、避難を呼びかけるくらいなら大丈夫だろう。そのままにして被害者が出てしまった方が問題だ。私も――」
 共に行く、と言いかけてその先を飲み込む。突然の事件で忘れかけていたが、今も私は謹慎中の身なのだ。
 命令(オーダー)に反してまで、行動することは果たして許されることなのか――
 
 『お前自身がどうしたいか、じゃないか?』
 
 渦巻(うずま)く葛藤の中、壬に言われた言葉がざわついていた私の心を鎮(しず)めていく。
 我に返った私は知らぬ間に額に当てられていた手の下で大きく深呼吸をすると、力んでいた肩を意識してほぐす。
 「……ランディの執務室になにか手がかりがあるかもしれない。少し調べてから、私も三層へ向かうことにするよ」
 そう同僚に告げると、彼も安心したのか、心做(こころな)しか表情が先程よりも明るいものになる。
 「おう、了解だ!ひとまず集まってるメンツにそう声をかけるよ。さすがツキヒトだな、頼りになる」
 弾んだ声で同僚は了承すると、私の肩をポンっと軽く叩き、屋敷の方へと走り去って行った。
 「……頼りになる、か……」
 走り去っていく同僚の背中を眺めつつ、私は自嘲げに呟く。
 ――こんな迷ってばかりの自分でも、頼りになると言ってくれる人が居るのか。
 思わず沈みそうになる自分をどうにか頭を左右に振ることで浮上させる。今はその時ではない。
 そう自分に言い聞かせると、私は既に屋敷に入って見えなくなった同僚を追いかけるようにして走り出す。
 先に屋敷へと入った同僚は、速やかに先程の提案を実行したらしい。ようやく私が屋敷に入り階段を駆け登り始めると、同時に階下で数人の足音が轟(とどろ)き、その音はすぐに外に飛び出して行った。
 三階分の階段を一気に登りきり、その上で荒くなった呼吸を整える。
 しかしその時間さえ今は惜しい。整えきれない呼吸をそのままに足早に廊下を抜け、一際大きい扉の前で立ち止まり、主のいない室内へとノックをする。……数日前は、かなり気落ちした気分でこの廊下を歩いたものだ。
当然応えは返ってこない。私はドアノブを掴むと、緊急事態だから仕方がないと言い訳をしてから押し開けた。
 そこには、数日前となんら変わることのない執務室があった。
 私はその中に足を踏み入れる。なにか手がかりがないかと失礼にならない程度に物色しようかと周囲を見渡すと、部屋の最奥に置かれたデスクの上が散らかっていくることに気づく。
 デスクに歩み寄るとその正体は複数枚の紙であり、どうやら調査書のようだった。ここ数日で起こった事件の中心と思しき組織の内情及び首領(ボス)の名前、活動記録、組織の繋がり。そして――
 「……そうか、そうだったんだな」
 そして、彼らの工作員(スパイ)であった――壬(じん)についての記録が、そこにはあった。
 
 
 
✕✕✕✕✕✕
 
『片桐(かたぎり) 壬(じん)/本名不明。
元第三区画第三階層出身。十数年前カニー二ファミリーによる違法人身売買のために拉致される。上記ファミリーは先代ギュスターヴの代に撃滅、解散している。その際の乱戦に巻き込まれたが、カニー二ファミリーの生き残りに連れ去られ、以降その生き残りの下工作員(スパイ)の教育を施(ほどこ)され活動する。主に敵組織の内情を探ることを任務とし、相手の懐に潜り込み情報を流す事で貢献している。また組織の口止め役も担っており、裏切り者や捕縛された者の口封じも行う。そのためナイフ等の刃物の扱いは一級であり、また銃火器に関しても扱いに長けている。中~近距離に特化。』
 
✕✕✕✕✕✕
 
 
 悲しいかな、簡潔に書かれた彼に関する資料を読んでも、私は憤慨の感情を持つことは無かった。――『得心(とくしん)がいった』、それだけだ。
 敵組織の工作員ということは壬は私のことを知っていて、あのバーで声をかけたのだろう。――当然私のこれまでの人生も、私がかつて【一〇五三】の数字を割り当てられた、子供だったことも。
 ……どんな気持ちだったのだろう。目の前に命を賭して助け出した人間がいて、外聞だけでも親しい様を演じるその胸中を、私は推し量(はか)ることなどできない。
 滑稽(こっけい)だと思っただろうか。哀しくなったのだろうか。それとも殺したいほどの憎悪を燃やしたのだろうか。
 「…………っ、」
 様々な感情が入り乱れ、無意識のうちに私は壬に関する調査書を握りしめていた。グシャリという音が、耳元で妙に大きく聞こえた。
ふと、その握りしめた調査書が複数枚重なっている事に気づく。
 私は強ばった手のひらを苦労して開けると、下に隠れていた紙をずらす。
それは赤いインクで『✕』の印が付けられた、第五区画第三階層と第二階層の地図だった。
 『✕』の印がつけられてることで、私はすぐに合点がいく。この印は敵組織の根城の目星だろう。
 ここまで証拠が揃えば答えにたどり着くのは容易(ようい)だ。先程屋敷の前で議題に上がった銃撃戦とこの件は繋がっている。
 結論にたどり着くやいなや、私は手に持っていた調査書を放って一目散(いちもくさん)に駆け出していた。
 根城の目星は二箇所あったが、私は迷うことなく第三階層を目指す。住人の目撃情報が確かなら、ランディは三階層に向かっているはずだ。
 そして彼と相対しているのは、恐らく壬だろう。
 確証はない。しかし私にはそう思える程の確信があった。
 
 彼と、もう一度話をしなければ――
 
 第三階層へと降りるため、私は支柱ブロックにある立体蒸気エレベーターを目指し足を動かした。
 ……肩に担いだ白銀の狙撃銃が、重石のように一際重くのしかかった。
 
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 第三階層に降り立つと、人の波をかき分け、転がるようにして私は例の場所へと向かう。
 銃撃戦が行われているとされる場所から遠く離れたこの支柱ブロックでも、騒ぎを聞きつけた住民達の顔色は不安の色で染まっている。
 走りながら横目にあたりを見渡すと、そこかしこに【タグ】をつけた背広姿の男達が確認できた。住民に避難を呼びかけているようだ。
 何度かその背広姿の同僚に声をかけられた気もしたが、私は立ち止まること無く人並みをかき分け走り抜ける。
 走ること数分、第三階層のハズレにひっそりとある街【リベルタ】を取り囲む外壁がようやく見て取れた。
 リベルタはこれといった目立った観光地や名物があるわけではなく、立地も相まって穏やかな雰囲気の街だ。しかしその街の入口は普段の穏やかとは程遠い喧騒(けんそう)で今は充ちていた。
 ここまで止まることなく走り続けた身体は悲鳴をあげ、街の外壁を前にして私は遂に足を止めた。
 この歳で全力疾走を、しかも長時間することになろうとは私自身予想だにしていなかったため、呼吸はかなり荒い。
 本音を言うとその場に今すぐへたりこみたかったが、直後に聞こえた音がそれを許さない。
 リベルタの街中に響き渡るその銃声は、一発一発の間隔がかなり短い。数回ごとに長いスパンを挟んでいることから、お互いに同じ得物を使用しているのだろう。
 同僚に聞いたとおり、かなりの腕を持つ者同士の精緻(せいち)な射撃戦だ。
街の中へと通じる大通りは、街の中から外へ向かう住人でごった返している。彼らは皆不安や怯えた表情で避難していた。
 どうやらここでも休んでいる時間はないようだ、とふらつく足に鞭を打ち再び走り出そうとしたその時だった。
 
 「――もし、そこの大きな荷物を背負ったお方。そんなにずぶ濡れで、一体何処(どこ)へ向かおうとしているのです?」
 
 「はっ――」
 建物の間に落ちる陰に溶けるようにして佇(たたず)む人物を前に、私は緊張のあまり息を呑む。
 その人物は真っ黒な傘をさし、表情は傾けた傘によって隠れてしまっている。
 否、傘などなくともその人物の顔半分は、とても既視感のある仮面で覆われていた。
 ばしゃり、と音を立てて足を止める。私はその仮面に気づいた直後、反射的に腰に下げた拳銃囊(ホルスター)に手を伸ばしていた。
 カタカタと回した手が震えているのは雨に濡れきって凍(こご)えているからでは決してないだろう。私は強ばる身体を悟らせないように努めて平静を装いつつ、男と対峙する。
 「そんなに怖い顔を召されるな。私は単に自分の内から湧き出た素朴(そぼく)な疑問を投げかけた迄(まで)のこと」
 こちらに敵意はない、とばかりにゆるゆると首を左右に振る男は、さも世間話をするかのように至って自然体だ。
 ひとまず男の言っていることを呑み込むと、拳銃囊(ホルスター)に手は添えたままで、私は低くしていた姿勢を正すことにした。
 その行動を良しとしたのか、男は満足げに頷くと、先ほどと同じ問いを投げかけてくる。
 「して、傘も刺さずにこの雨の中貴方はどちらへ向かおうというのです」
 「この先で騒ぎが起きていると話を聞いた。私はその対処に向かおうと思う」
 私の返しに男は顎(あご)に手を添えると、こてんと首を傾げる。
 「この銃声に慣れきった住人が血相を変えて逃げまどう程の騒ぎに、でしょうか」
 一人で騒ぎの渦中に飛び込もうとする私の姿が不思議だったのだろうか、その問いかけにも私は反射的に短く「あぁ」と答える。
 
 「――何のために、でしょう」
 
 そうして間髪入れずに放たれた言葉の意味を、すぐに理解することが出来なかった。
 「なんの……ために?」
 「えぇ。貴方はどうやら腕利きの様ですが所詮(しょせん)はただの銃を持ったマフィアの構成員。しかも推察するに独断で向かおうとしてらっしゃるご様子。主人の命令(オーダー)という大義(たいぎ)名分(めいぶん)がない中、貴方は一体何をもって進もうとするのです」
 そう言えば、数日前に【タグ】を紛失したきり、何年もそれをつけ続けていた左耳がもの寂しいことを思い出す。身分証がない今、私はその辺にいる普通のマフィアの構成員と思われても仕方が無い。
 そんなことより、私の頭の中は別の言葉で埋め尽くされていた。
 『主人の命令(オーダー)という大義名分がない中――』
 【命令(オーダー)】――それは、私がこの理不尽極まりない世界を生き抜くには必要不可欠であり、そして道標(みちしるべ)のようなものだった。
 彼(エルヴィン)の命令(オーダー)を忠実にこなせば居場所を確保出来たし、周りの信頼を徐々に勝ち取っていくことも出来た。
 しかしそれは単なる裏返しの言い訳だ。彼(エルヴィン)の命令(オーダー)に逆らったらどうなってしまうのか――そんな不安が、私の中には確かにあったように今は思う。
 居場所を失った子供がひとり異国の地で生きていけるはずがない。そんなことはこの【宿り木(ミスリル)】に住む幼子だって知っている常識だ。
だから私は彼(エルヴィン)に縋(すが)り、彼(エルヴィン)の命令(オーダー)ならばどんなことでも遂行した。
 ……これでも最初は人を殺すことだって恐怖した。一番最初に人を撃った感触を、私は忘れてはならない。
 しばらくは食べ物を腹に入れるだけで逆流し、夜はスコープに映った人間が襲いかかってくる悪夢まで見る始末だ。
 だから私は、【感情】を捨てた。
 自分の想いに蓋をして、目の前に映(うつ)る現実だけを許容する。ただ淡々に、作業的に任務をこなす為だけに。
 ――そうでもしないと、私は私自身を保つことが出来ないと、そう言い訳をして。
 昔一度だけ、教育係であったカイに問われたことがある。『たまには、貴方は貴方の勝手にしても良いのですよ』と。
 その時はカイの質問の真意を汲み取ることが出来ずに眉をひそめただけだった。その頃にはもう私の意思は随分と希薄(きはく)になってしまっていたから。
 ただ、今は違う。たった数日間の付き合いだったが、確かに彼は私に新しい道を示してくれた。
 伏せていた顔を上げ男を瞳に捉(とら)えると、私は真っ直ぐに向き合った。
 
 「私は――私の信念に従ってここにいる。誰の命令でもない、私自身の意志だ」
 
 端的に、しかし今までの下手したら人生の中で一番熱量を込めたその言葉だけを残して、私は仮面の男の返事を待たずにリベルタの街へと駆け出した。
 目指す場所はただ一つ。未だ激しい銃声が跋扈する嵐の中へと飛び込んだ。
 
 後ろはもう、振り返らなかった。
 
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 一人の男が、ずぶ濡れのまま戦火の中へと躊躇(ためら)いなく飛び込んでいく様を、仮面の男はしっかりと見届けた。
  男は後ろに隠していたもう一つの閉じられた傘を見ると、その表情は穏やかになった。
 「……ようやく、貴方らしい貴方を見ることが出来ました。随分と長い間待たされましたが、そうなることが出来たのは先代(エルヴィン)ではなく、当代(ランディ)のお陰でしょう」
 そう言いながら男は顔半分を隠していた仮面を剥ぎ取った。
 隠されていた仮面の下の金の瞳は、振り返ることなく走るツキヒトを、まるで独り立ちする子供を見送る親のような慈(いつく)しむように柔らかなものだ。
 「この先何が起ころうとも貴方の心が折れない限り、きっともう迷うことはないでしょう。――【友(かこ)】をとるか【主(みらい)】を取るか、それは貴方自身が決めるでしょう」
 結った髪を靡(なび)かせて、男は月仁とは真逆の方向へと歩き出した。
 「全く、気になるのなら自分で来ればいいでしょうに。ともあれ私の任務もこれにて終了。あちらもきちんとやっていればいいのですがね……」
 いや、あのマイペースで傲慢(ごうまん)な主のことだ。たとえ幼馴染であろうと右腕(わたし)ごときが行動を予測したところで無意味なことは、長い付き合いでよーく学んだことだ。
 傘をふたつ持った男は深く、深くため息をすると、この後のことや後始末に頭を悩ませつつ人並みを縫うようにして歩き去っていった。
 
 
 かつて少年の教育係を務めた男ももう、後ろを振り返らなかった。

© 2017- izumi soya

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