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 ――カラン、カラン。
 景気の良い音を立てて、扉につけられた鈴が鳴り響く。
 「いらっしゃい。今日はいつもより少し遅いご来店だ」
 バーカウンターでグラスを磨きながら、店主(マスター)が今日も私を迎え入れてくれた。
 「首領(ボス)がいきなり失踪(しっそう)したんだ。この機を狙っていたハイエナの処理にてんやわんやだよ」
 私はいつものカウンター席に腰掛けながら、店主と言葉を交わす。
 ここは第五区画四層にある、バー【ピカロ】。街灯も何も無い路地裏―月明かりがなければ文字通り真っ暗だ―を抜けた先にひっそりと居を構える、知る人ぞ知るバーであった。
 カウンター席が四つ、テーブルが二つしかない小さなバーであるが、店主の趣向(しゅこう)なのか洋風の酒はもちろんのこと、珍しく東方の酒まで取り揃えられている。ここにいるだけで全区画の酒を制覇できるのではないか、と錯覚(さっかく)するほどの品揃(しなぞろ)えだ。初め訪れた時にはそれはもう感動した。
 しかし私は感情があまり表面に出てこないため、そのことを話しても「全然そんな感じ微塵(みじん)もなかったがね」と店主に言われてしまった。
 「そんな大変な時期なのに、ディーさんに付いていなくていいのかい?」
 店主の言う【ディーさん】とは、この第五区画を牛耳るギュスターヴファミリーの現首領、ランディ·ギュスターヴのことだ。
 彼は先代首領エルヴィン·ギュスターヴの実の息子で、突然姿を消した父に代わり緊急で首領を継いだ青年である。
 「第五区画(ここ)にずっと住んでいるのなら知っているだろう?彼に護衛(ごえい)は必要ないさ」
 実父が働かない首領だった為、ランディは幼い頃から戦場に出ており、実質エルヴィンの懐刀(ふところがたな)として活躍していた。
 その実力は、齢二〇でありながらファミリーの誰も、いや、少なくともこの第五区画では右に出るものは居ないだろう。
 それほどの銃の腕を持つ彼にとって、護衛は逆に妨げになってしまうのである。
まぁ、彼の性格も護衛がついていない理由の一つであるのだが。
 店主は「それもそうだ」と苦笑いを返す。
 話がひと段落ついたところで、私はいつものように東方の冷酒をオーダーしようと口を開きかけるが、ちょうど店主の真後ろの棚に、見かけない酒瓶(さかびん)が置かれているのに気づく。
 「店主、後ろのその酒はあたらしく入ったものか?」
 店主は私の声に引かれ後ろを振り返って確認すると、「あぁ、」と話し始める。
 「これは第三区画でも珍しい酒でね。半年に十数本しか出回らない一品さ」
 「へぇ、店主にそこまで言わせるとは。ぜひとも味わってみたいものだ」
 珍しく私が興味を示すと、店主も「そうだろう?」と自慢げな顔になる。
こんなバーに通っている身で言えた義理ではないが、酒は嗜(たしな)む程度で、特別好きという訳では無い。どうにも第五区画の洋風の酒が口に合わないらしい。
 東方の酒ならまだ美味(びみ)とかんじられるので、ここには通っていると言った感じだ。
 「でも残念。これは別のお客さんがキープしているものでね。私の一存(いちぞん)では開けられんのだよ」
 先ほどの表情とは一転(いってん)して、心底残念そうに店主は呟く。
 私は「そうか、それは残念だ」というと、いつもの冷酒を一杯注文し、出てくる間に背負っていた音楽ケースの中から、一冊の文庫本を取り出す。
 本は半(なか)ばまで読み進めていた。私はここで酒を飲みつつ、この本を読む一時が好きだ。
 パラパラと頁(ページ)をめくり、挟んであった栞(しおり)を抜き取る。
 手に持っていた本に影が落ちたのは、いざ読み進めようと最初の一文に取り掛かろうした、その時であった。
 「お、珍しい。その本、第三区画のものか?」
 声がした方を見ると、そこには1人の成人男性がひょこりと顔を覗かせていた。
 確かに私が手にしている文庫本は、漢字と平仮名(場合によっては片仮名)で構成された、縦書きのものだ。
 私は短く肯定(こうてい)すると、彼は人懐(ひとなつ)こそうな顔をさらに明るくする。そのまま私に尋ねることなく、男は隣に腰掛けてきた。
 「第五区画(こんなところ)でまさかそんなものに出会えるとは。あんた、第三区画出身か?」
 「あぁ。そういうあなたも同じ第三区画の出身のようだ」
 「いやぁ、長いことここに住んでいるが、同郷の者と会うのは初めてだ。やっと目当ての酒も入手することが出来たし、今日はいい夜になりそうだ」
 男がそう言い終わると同時に見計らうかのように、先ほど話題(わだい)に出ていた一升瓶(いっしょうびん)がカウンターに出される。なるほど。この酒 の所有者はこの男だったのか。
 「旦那(だんな)さん、よろしかったらこちらの方にも1杯注(つ)いでやってもよいかな。珍しく興味を持ってくれたようだから」
 店主がそう切り出すと、男は二つ返事で気前よく了承してくれた。
 「酒は大人数で飲んだ方がうまいに決まってる。よかったら店主も一緒にどうだい」
 「ではお言葉に甘えて。仕事中ですので少量だけ頂こうか」
 冷酒用のグラスが二つと、一回り小さいグラス、三つのグラスに店主によって開けられた酒が注がれる。
 3人はそれぞれグラスを手に取ると、男の「乾杯(かんぱい)」という音頭(おんど)で小気味(こきみ)よい音をたてた。
 
 
 
 片桐(かたぎり)壬(じん)という男との出会いは、何の変哲もない、ありふれた日常の夜のことだった。

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© 2017- izumi soya

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